私がメーカー研究所長からコンサルに転身したワケ

2020年春、研究員として30年近く某メーカーで勤務し、

ついにR&Dトップである研究所長に就任した。

が、その行く手は限りないいばらの道だった。

丸3年も新製品の候補を出せていない研究所。

事業会社幹部は研究所の必要性を説いてくれたが、

親会社の領域を管掌する上級役員からは

「投資に見合うリターンが出せない組織には投資できない」

と最後通牒を突きつけられての就任だった。

折しも世の中はコロナ禍で最初の緊急事態宣言が出された直後、

出社して実験しなければ何事も進まない研究所で、私が最初に出した指示は

「出社するな」

だった。

今思えば逆にこれが功を奏したのかもしれない。

私は各研究部が使う誰もいない実験室を、一つ一つすべて見て回った。

サーバーに保管されている各プロジェクトの資料や、研究員たちの月報や週報のほぼすべてに目を通した。

オンラインで200人すべての研究員と1on1をやり、

今研究所のおかれた状況をどう認識しているか、

あなたは何が出来るのか、などを丁寧にヒアリングした。

研究員たちの能力も意欲も高いレベルにある。

問題はマネジメントだと確信した私は、各研究部長たちと議論を重ね、

到底達成できそうもない高い目標値を掲げ、

その達成を最優先するマネジメントを部長陣に要求した。

出来ない理由はいらない、

どうやったら達成できるかのみに全てのリソースを集中してくれ。

達成できなければ研究所はなくなると思ってくれ。

私は自身もメンバーとして名を連ねる経営会議で、

これまでの実績からは考えられない高い目標と研究方針を説明した。

社長は黙って聞いてくれたが、ある役員は

「このペースで開発が進んだら、下流の部署はパンクしますね」

と、うっすら笑みを浮かべながらコメントした。

この時のちょっと皮肉交じりの笑みは、

その後ピンチの度に私の折れかける闘志を奮い立たせてくれた。

今では感謝したいぐらいである。

プロジェクトが遅延しそうになる度に、主要なメンバーを集めて対応策を練り、

2年目の夏には久しぶりのプロジェクト成功を達成した。

4年目には年間2つのプロジェクトを完遂し、

経営会議で達成できるものかと嘲笑された目標値を上回る成果を残した。

この経験を通じて、経営とはチームビルディングと人財育成に尽きると考えるようになった。

達成できそうもない高い目標に対して、

研究部という大きな単位から、2,3人の小さなチームまで、

それぞれが今何をすべきか、どう手を打つべきかを自律的に考え、

臨機応変に対応しなければ、このような高い成果を上げることは出来なかったと思う。

4年かけて全てをやり切ったと感じた私は、

目標を達成した満足感と何か違う事をやりたい衝動と共に、

自身の会社人生に自ら静かに幕を引いた。

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